今考えると、痩せようと思ったきっかけはとても些細なことだった。
ちょうどその頃、暇を持て余し、毎晩のように彼と二人でWiiでゲームをしていた。株を買ったり物件を売ったりを繰り返し、一番資産を増やしたものが勝ちというもの。
そのゲームで一位になると、ストレスが解消されて満足できる。でも、次第にそのゲームにも飽き、新しいゲームがやりたくて、ゲーム機本体が欲しくなっていた時にボーナスが出て、ゲーム機買っちゃおうかなぁなんて思っていた。
そこで、彼に相談すると、「そんなもの買うよりも、冬物の良いコート1枚でも買うほうが良いんじゃないの?」と言われた。
「そうだなぁ、見栄えする良いコート持ってないし、そのほうが良いか・・・」と考え直し、次の休日に買いに行った。そして13号サイズのコートを買い、とても嬉しくて、外出することが楽しみになった。
そんなある日、痩せてた頃に履いていた、お気に入りのブーツを出して履いてみると、何と!足首から上にかけてファスナーがあがらない!!何てことだ!こんなに太っちゃって!と、今更だったが、そんなにも太った自分が嫌になった。
この瞬間、私の頭の中で、遠い過去の記憶が蘇ってきた。
私がまだ痩せていた頃、とても体格が良く、“ぽっちゃり”という言葉を遥かに超えている体型のコと仕事をしたことがある。
そのコは、悩みがあると言っていた。「ブーツをキレイに履くことが夢なんです!私のふくらはぎでは、キレイに履けるブーツがないんですよ。前に、通販で自分のふくらはぎに合うブーツを買ったんだけど、ブーツの形が足首から膝まで逆三角になって、膝の部分が広がるんです。キレイな形にならないんですよね・・・」と。
その時は、「市販のブーツが履けないってこと、本当にあるの?それで悩むって、どういうことなんだろう?そこまでこのコ太っているかな~?」と思った。言葉は悪いけど、「百貫デブ」って感じではない。
その時に、「私はそうはならないだろう。太らない体質だから」と思ったことを憶えている。でも、決して太らない体質だったわけではない。いつ太っても不思議ではない体質だったのだ。
ただ若かったから、代謝が良かっただけ。
思えば、今まで好き勝手な食生活だった。
毎日の晩酌、カロリーや脂質や糖分なんてまるで無視した食事におやつ・・・しかも、いつもお腹が破裂しそうなくらい食べないと気が済まない。
10年前に比べて10kg以上も体重が増えたにも関わらず、「ストレスの多い仕事だから、解消できることがないと頑張れない」と自分に言い訳をして、自分を甘やかし続けてきた。そのくせ、「いつか痩せたら着るんだ」と、痩せていた頃とはまるで違う今の姿を直視できずに、7~9号サイズの洋服を全て押し入れとクローゼットにしまっておいた、もう一人の自分。
過去の自分は、華やかで自信もあり、細かなお洒落にも気を配っていた。出掛ける時にはきちんと化粧をし、髪をヘアアイロンで巻き、持ち物にもこだわりを持ち、自分に満足ができる状態で外に出た。それは、「それが女性!」という私の中のこだわりだったから。
その意識が崩れてきたのは、高級クラブで働いて仕事に自信が出てきた頃からだった。
自分が売れてくるとおとずれる、同伴前のめちゃくちゃ美味しい食事と、アフターでの食事のはしご。更にはお酒の飲みすぎ・・・。
同伴前の食事は、ほとんどのお客さんは気合が入っている。とっておきのお店に連れて行ってくれて、とっておきの食事を注文してくれる。
アフターでは、まだ家に帰りたくないお客さんが、寿司屋から始まり、他2件ほど美味しいものを出してくれるお店に連れて行ってくれる。そんなことが週に何日もあった。美味しく感じるものって、ほとんどの物が糖質が高くて太るってことを何も考えずに、何年も経った。
違う職種になっても、そんな生活を変えることができるわけもなく・・・。
体重計はすっかり嫌いになってしまい、少しずつ色んな場所に肉が付いてきていることも見て見ないふりの毎日。
その後、カフェレストランの店長や、ロシア料理店での食事作り等、料理メニューを考えることが多かったため試食も多く、みるみるうちに今の体重と肉付きになっていった。
その後は、彼とのカフェ経営で、私は焼き菓子やスイーツを担当!!
ここでまた試食で食べまくり。お洒落にはそれなりに気を配ったが、お尻や腰周りはどーんと安定感が増し、ブラジャーからはみ出して盛り上がったぜい肉が、服の上からでもわかってしまう。そして、プロレスラーのようなたくましい二の腕、大根なんて比べ物にならないくらいのどっしりとした足、目や鼻が小さく見えてしまうほどに肉がつき、面積が広くなった顔!
見た目だけで人間の価値が決まるわけではないが、私の中の「女性とは」の理想からは遠くかけ離れている。見た目ではなく性格だけなら、明るく我慢強く、頼りがいがあり、経験豊富で他人に心から優しい気持ちで接することができるのが理想で、それに向かって日々努力はしているが、見た目の部分も、私が理想とする「女性とは」のイメージと合っていたら、きっと自分が大好きになれるはず。幸福感も、もっと違ったものになるに違いない。